<08-03 2002年01月01日(祝)公開>
坂総合病院で小児科に移ってすぐに喘息外来を担当しました。喘息の子供たちは発作を起こせば苦しく、長期にわたり発作は何回も起こします。アトピー性皮膚炎の子供たちも痒くて大変です。そんな子供たちを見ていると何とか自分の子はそんな目に合わせたくない…と思っていましたがそんな夢はすぐに打ち砕かれました。
昭和57年冬、長女が生まれました。この頃は私も妻も自分にアレルギーがあるとは知りません。生まれてすぐから何となく腫れぼったい子でしたが初めての子でもあり可愛がり大切に育てました。ところが、生まれて2カ月も経つと顔から始まって、胸や手に湿疹が出始めました。アトピー性皮膚炎でした。この頃、食事療法や環境整備のことはまだよく理解していませんでしたから、副腎皮質ホルモン剤(ステロイド剤)の軟膏に頼る治療をしました。軟膏の効果を見ようと顔半分に軟膏を塗り半分は塗らないで、ピカソの絵の様な顔にしてしまい妻に怒られたこともありました。とにかく、アトピー性皮膚炎はどんどん悪くなっていきました。シーツに顔をこすりつけシーツが血で真っ赤になってしまったこともあります。なるべく仰向けにしておくのですがすぐにころがってシーツにゴシゴシしてしまいます。
そのうちに妻がこんなことを保育所の保母さんに聞いてきました。母親が牛乳を飲むとその成分が母乳中に移行し、赤ちゃんが牛乳アレルギーを起こし、アトピー性皮膚炎になるというのです。だから、牛乳を飲むことを止めるように保母さんに言われたと言うのです。
医学部で受けた講義の中にはそんな話は出てきませんでした。第一、母親が飲んだ牛乳成分が消化されずに母乳中に分泌されるという話は聞いたことがありませんでした。融通のきかない医者のごとく、教科書に載っていないと信じないという悪い習慣をその頃の私は持っていました。そして、妻とけんかになりました。しかし、私も一応は科学者の端くれです。「そんなに言うのなら試してみよう」ということになりました。そんな事はうそだということを証明してやろうと思ったのです。約2週間ほど乳製品を止めてみました。すると、娘のアトピー性皮膚炎は良くなってしまったのです。そして、再度母親が乳製品を食べ始めました。するとアトピー性皮膚炎は明らかに悪くなりました。これは、私の認識が間違っているのかもしれないと思いました。ここから、アレルギーの底無しのどろ沼に引き込まれていきました。我が家でのアレルギーとの戦いの開始の瞬間でした。
この保母さんとは現在も環境問題等で一緒に仕事をさせてもらっています。この保母さんがいなかったら我が家のアレルギーとの奮闘開始はもっと遅れたかもしれません。