<08-02 2001年12月30日(日)公開>
まずは我が家の紹介から始めましょう。
電車のドアが開きます。中に乗り込むと、電車の中にいた人たちの視線がいっせいにこちらに向きます。目が一瞬大きく開き、その目が、いやもっと率直な方は小さく指を動かして、数え始めます。「1、2、3、4、5!?」そして、連れ合いがいる時は目を見合わせて、クスっと笑いながら、ひそひそ話を始めます。おばさんはもっと素直です。こう聞いてきます。「ぼくたち5人兄弟なのかい?」。最後は、母親と父親の顔をジロジロ見て、「へー」というアクションをするしまつ。その後は、電車に乗っている間ズーッと観察されます。おまけにうちの子供たちは、じゃんけんやゲームを始めたり、追いかけごっこをしたりけんかなどするものですから、見ている方は飽きがきません。親は、電車に乗るだけで疲れて、まだ目的地につく前に帰りの心配をし始めます。そこで、母親はこんな手を考えました。父親は上3人を連れて乗り込みます。母親はチビをおんぶし、4番目を連れて、別のドアから知らん顔して電車に乗り込みます。これで、あまり、注目は引かなくなりました。乗っているうちに、だんだんばれて同じ事が始まるのですが……。
我が家は親二人がアレルギー、子供5人ともアレルギーとアレルギー家族です。親がアレルギーあればほぼ100%、子がアレルギー体質になるのは当たり前。しかも、親自身、自分がアレルギーだと分かったのは子供が生まれて「おー、我が子はアレルギーっ子!」と分かった後だから、さらにどうしようもない訳です。結婚前、デート中にちょっとふざける(?)とゼーゼーしていた原因が、ダニアレルギー強陽性のせいだと分かったのは、ズーっと後のこと。父親自体が、スギやキク、ヨモギの花粉症で、鼻水や頭痛やイライラが起こると分かったのも、もっとズーっとズーっと後のことです。
アレルギーっ子を毎日毎日5人も見てきたので、外来にくるアレルギーっ子も我が子同様の気持ちで見ることができ、患者さんもどんどん増えて、色々な人の色々な病気と生活を勉強することができました。子供たちと患者さんが私の先生です。そのお陰で“アレルギーのお医者さん”などと言われています。我が家でやることはそのままアレルギー外来で、患者さんたちに指導することになります。逆からいえば、まず我が家で、試して、これは良いようだと思われることが、外来で患者さんたちの指導に使われることになります。薬も、自分や子供たちにまず試して、それから外来で使われることがほとんどです(悪く言うと、子供たちを実験台にしているということでしょうか)。
我が家の1日は食事作りと寝具の掃除機がけから始まります。食事(8人分の朝食と弁当)を作る係りと寝具に掃除機をかける係りに分かれて、「起きろー!」の掛け声で朝が始まります。父親は掃除機班。厳しく、掃除機をかけさせます。これも、アレルギーのある子のため、妻のため、自分のため。何年もやっていると子供たちも慣れたもの。小学生にもなれば結構きちんとかけることができます。寝具のダニ抗原量を調べて、きちんと掃除機をかけているとかなりダニ抗原が少なくなることも確認しました。寝具の掃除機がけができて、ご飯が炊けて、野菜のたっぷり入った味噌汁を作れること、自分の頭で考えて実行し、失敗してもそれを教訓に乗り越えて生活できることがアレルギーっ子の独り立ちの条件。各自の素質を十分に発揮しつつ、緑の地球とすべての生き物たちのことが考えられる人になってくれれば…と願いつつ、朝も夜も大騒動、昼は他の子供たちも集まって保育園のような我が家で、今は、夢中で子育て中です。