5−4 はじめのいっぽからの返事−子育て編
《G−1:今は良いが、保育所や学校に入ったら皆と同じものが食べられないと可哀想?》
人間を含め、生命のあるものは殆ど形や色・大きさ等は違って当り前なのです。同じお父さんとお母さんから生まれた兄弟姉妹でも違っているはずです。優しい子、しっかり屋さん、頑張り屋さん、活発な子、面白い子、内気な子、乱暴な子、素直な子、泣き虫な子、身体の弱い子、勉強の苦手な子、想像力の豊かな子、応用の利かない子、機転の利く子、こまっしゃくれた子等々色々な子がいるから楽しいのです。色々な子がいるから理解しあう努力と助け合う必要があるのです。まず、そのことを子供達には教えて欲しいと思います。子供達にはもっともっと自分の持っている輝く部分を大切にして欲しい。例え他の人と違った部分があったとしても、それで“部分的”に他の人よりも劣っているものがあったとしても、それがその子の“個性”として認め、それで“ダメな人間”とは思っていないということを機会あるごとに話してあげて下さい。これだけでも様々なことが変わる筈です。しかし、子供達には“保護”するだけでなく、様々な“壁”を自分で乗り越えさせる“機会”を多く作り、自分自身に“自信”を付けさせてあげて下さい。本当の“自信”は“壁”をいくつも乗り越えなければつかないものです。その“機会”をあなた方(=親)が奪わないで下さい。
食べられないのは1つの個性です。食べたらすぐに具合や症状が悪くなるのでしたら、それでも食べさせようとは思わないはずです。しかし、問題はすぐに具合や症状が悪くならない子の場合だと思います。しかし、“アナフィラキシー”と言う言葉をお聞きになったことはおありでしょうか? 急激な血圧の低下、意識の喪失、呼吸困難等を引き起こし、最悪の場合、生命の危機にも繋がる“ショック状態”のことです。食物アレルギーに取り組んでいるお医者様にはその認識のある方が多いようですが、まだまだ一般のお医者様にはその認識も経験も少ないようです。当店を指導して下さっています角田先生はこの患者さんを100例以上診て来られました。
今までは「IgERAST法と言う検査で、スコアー3以上の人には起こる可能性がある!」と言われて来ましたが、角田先生の患者さんでは血液検査で反応の出なかった人でも起こした人がいるそうです。以前、先生がテレビの取材を受け“アナフィラキシー”を解説した翌日から病院の電話は問い合わせの電話で鳴りっ放しだったそうです。「自分(や自分の子供)の起こした症状に対して、今までのお医者様では原因が判らないままだった。しかし、先生の説明とは一致することが多いのでぜひ一度診て欲しい!」と言うものばかりだったそうです。先生も「これほど多くの人が起こしていた」とは思っていなかったそうで、その数の多さにビックリされたそうです。中には、普段“アレルギー”とは無縁と思われていた人もいらっしゃったそうです。
当店にも「高校生の息子がキウィフルーツを食べた後呼吸困難を起こしたが、やはりキウィが原因ですかね? 今までに食べてきても何とも無かったし、栄養が豊富だから何とかして食べさせたいのですけど……。」というお母さんや、「生後10ヶ月の赤ちゃんに離乳食として生卵のぶっ掛けご飯(これが意外に多い!)をあげたところ約15分後に吐くのだけれど、お医者様に連れて行っても原因が判らず、卵を食べさせないようにした方が良いと言われたのだけど……」等の相談が来たこともあります。どちらも“アナフィラキシー”を起こしたのだと思いましたので角田先生の受診を勧めました。果物ではキウィに限らずメロンやスイカやパイナップル・パパイヤ・マンゴーでも起こした方がいらっしゃいました。生卵の赤ちゃんの場合は「吐く前にグッタリしていなかった?」と尋ねますと「直前はグッタリしていた」とのこと。吐いていたから良かったのです。「これが吐いていなかったら……」と考えますとゾッとします。きっと大変な事態になっていたと思われるからです。
このように、「知らないうちに、又気付かないうちに起こしていた」と言う事例は沢山あります。見方や言い方を変えれば「誰でもが起こす可能性がある!」と言えるのではないでしょうか? 特に“劇症型”と言われる“運動誘発性アナフィラキシー”は“アレルギー”を引き起こす原因物質を摂取した後で運動をした場合に起こしやすく、『学校給食を食べた後(5時間目か6時間目)の体育の時間』が最も心配されています。その対処方法を学校が理解されているのならまだしも、現状としては心配な方は「学校給食を食べない方が無難」としか言い様がありません。
こうした時も「可哀想!」と言う言葉がどれだけ子供達を傷つけているのか、又、この言葉だけでは何も問題は解決しないということも合わせてお含みおき下さい。
《 G−2:使える 食材が限られてしまうので料理がマンネリになってしまう?》
これも《L−2》と同じような答えになってしまいますが、お母さんの努力(=愛情)以外に解決する道はありません。只1つ、言っておきたいことは「“アレルギー”だから使える食材が限られ、メニューがマンネリになってしまうのでは無い!」ということです。マンネリになるのには理由が別にあります。それは、お母さんが料理の種類・レパートリーを増やせない言い訳 に“アレルギー”を使っていること(に気が付いていない)ことです。もう既に、ここでお母さんが“アレルギー”に負けてしまっているのです。これでは、実際に“アレルギー”と闘っているお子さんが立ち向かえるはずが無いとは思いませんか? お母さんがお子さんと一緒に“アレルギー”と立ち向かう姿勢を示せるのは料理作りで自分に、“アレルギー”に負けないことだと私は思っています。
確かに色々な食材や食料品があるのに、「食べてはいけない」という制限を受けてしまうとそれだけで滅入ってしまうかも知れません。しかし、幾つかの食材があって、幾つかの調理方法があって、幾つかの調味料があるのですから、それだけでもそのバリエーションはかなりあると思います。物事は考え様です。“10”あるものを少ないと考えるか多いと考えるかによって心の受け止め方(=余裕)が違ってくるのは経験したことがおありだと思います。要は心の持ち様(=考え方)です。ウソだと思ったら嫌な顔せずに、面倒臭がらずに、楽しんで料理作りに取り組んでみて下さい。お子さんの表情と症状も変わってくる筈です。
楽しみながら料理作りをしているお母さんの姿は、お子さんにとっては大いに励みとなります。お母さん一人で悩まずに、本人やご家族にも相談されて、皆と協力して取り組んでみて下さい。ご近所や参加している団体(幼稚園や保育園・小学校でも良いです)にアレルギーのお子さんをお持ちのお母さんはいらっしゃいませんか? いらっしゃったら『料理の勉強会』でも開いてみたらどうでしょう? 型っ苦しく考えずに、普段お子さんに作っているおかずを1品ずつ持ち寄って調理方法を教えあうのです。以前、角田先生が開催して下さった『料理教室』でも「三人寄れば文殊の知恵」ではないですが、1品勉強すると皆のアイディや得意料理の話しが出て、それだけで2品にも3品にも広がったものでした。
さあ、一人で悩んでいないで、家族の協力や仲間を捜して、楽しみながら取り組んでみて下さい。お母さんが明るく生活していること、それがお子さんには何よりの応援歌になるのですから。
《G−3:私は料理が苦手だから食べものが偏ってしまう?》
《L−2》、《G−2》への答えと似かよってしまいますが、「苦手だからやれない!」、「勉強は嫌いだからやらない!」と言うお子さんの言い訳も認めてしまわれるのでしょうか? 「得意のことはするが、苦手なことには取り組まない!」と言うのは問題ではないでしょうか? お母さんがまずは困難に立ち向かう姿勢をお子さんに示して欲しいと思います。
そして、「偏ってしまう!」と嘆いているよりは、一人で悩まずにご家族の協力を得るか、仲間を募って前向きに取り組んでみて下さい。「千里の道も一歩から」、「叩けよ、さらば開かれん」です。
《G−4:本人だけ違うものを作って食べさせているが、他の人のものを欲しがって大変。我慢させることでの“ストレス”が心配? 》
お母さん方は 「アレルギーが有って、食べられない物があるからストレスになっている! 」とお考えのようですが、この考え方は間違っています。私は「その子が食べられないもの(=悪いもの )を、他の家族(特に母親)が目の前で食べていることがストレスを生み出している 」と思っています。 「面倒臭い! 面倒臭い!」と言いながら、何でその子だけ別のものを作っているのか判りません。同じものを食べれば済むことではありませんか?
「我慢を覚えさせる」ことは大切なことです。でも、それはここでは該当しません。様々な 困難なことに取り組む時、支えになるのは家族ではないでしょうか? その家族に対し、 「自分のことを、自分の病気のことを理解してくれていない!」とお子さんが感じてしまったらどうでしょう? 困難と立ち向かえるでしょうか? 本人と同様、ご家族も一緒にアレルギーについて、健康について、家族について考え、アレルギーと立ち向かって欲しいと思います。
《G−5:他の兄弟姉妹に「自分には“アレルギー”が無いのに、どうして一緒のものを食べなければいけないのか!」と泣かれた。見えないところで食べさせざるを得ない?》
まず、お母さんが「お子さん達に何を食べさせたいのか」をはっきり決めることが重要だと思います。何度も言いますが、アレルギーの子の食事が一番の健康食であり、健脳食であり、生活習慣病予防食であるのです。それなのに、身体に悪い食事を認めること自体問題だとは思いませんか? ましてや“アレルギー”の子だって家族の一員ではありませんか。それなのに、どうしてその家族を守れないのでしょうか? 家族が守れない(一緒のものを食べない)で、社会(保育所や小学校等)にだけ守る(同じようなものを出させる)ことを求めるのは本末転倒と言うものです。これでは、いつまでたっても学校でも社会でも“いじめ”が無くなる筈ありません。
《G−6:この子は自分が食べられないのは判っているので、目の前で私達がそれを食べていても平気だ?》
「目の前で私達が食べていても……」と言うことは、大人のあなたが「それを食べずにはいられない! 我慢することが出来ない!」と言うことではないでしょうか? 「大人のあなたが我慢出来ないのに、本当に子供のお子さんが我慢していられると思っているのですか?」と言いたいです。自分が出来ないことを子供に求める・出来ると思うのは止めて下さい。子供を“良い子”に追い込むのは止めて下さい。子供はもっともっと純粋で感情的で我がままです。世間を、社会を知らないのですから当り前なのです。食べたいものを食べられないのですから尚更です。他の家族が美味しそうに食べているのを見ても我慢できる子なんて本当にいるのでしょうか? そんなうちから“判った子”なんておかしいと思いませんか? もっともっと家族が一丸となって取り組んで下さい。表には出さない心の痛みを気付いてあげて下さい。
《G−7:お弁当を持たせようと思っているが、おかずは給食のメニューに合わせた方が良いのでしょうか?》
《L−3》、《G−1》の答えと似てしまいますが、全てにおいて一般論では決められないことです。何よりもお子さんと時間を掛けてちゃんと話し合って、本人も納得した上で取り組むべきです。自分の体質のこと、お母さんの出来る(材料が違っているのに見た目を似せるのはまだしも、味まで似せるは不可能に近い)こと、お母さんも頑張ること、学校や担任の先生の対応や予想される同級生達の反応、そして、数多くの先輩達がお弁当を持っていってちゃんと学生生活を送ってきたこと等々を話してあげて下さい。そして、一度決定したことでもいつでも変更出来ること、そのために学校と掛け合うことを嫌がらない姿勢、学校が全てではないと考えていることを見せてあげて下さい。お子さんにとっては新しい生活への不安もある上に、きっと初めて経験する“大きな決断”だと思うからです。この先も待ち構えているであろう“大きな壁”を同乗り越えるかを体験する第一関門でお子さんを必要以上に追い込ませないためにです。
以前はお子さんに負担を掛けないように「給食のメニューに合わせて似せて作る方が良い!」とされていました。しかし、今ではお弁当を持っていくことに対する同級生達の眼が変わってきました。それは、その子達が滅多にお弁当を作ってもらっていないからです。お弁当の日や行事の時等でも市販されているお弁当を持ってくる子が多いようです。「不幸中の幸い!」と言わざるを得ません。お弁当を持っていっている子の中にはお弁当を母親に作ってもらっていることを羨ましがられている子が大勢いらっしゃいます。母親の“手づくり”のお弁当を持っていっていることを“自慢”に思っている子もいるのです。ですから、最初から諦めないで、出来るだけの努力をし、その上で限界があることを理解してもらい、それでも見た目を選ぶか、見た目よりも美味しく食べられるお弁当を選ぶかは本人に選択させ、本人が“納得”出来る方法を模索してあげて下さい。お母さんが一生懸命作ってものが不評の場合もありますし、手抜きで作ったものが却って好評だったりとお子さんの反応は様々です。これは日常生活の中でも経験してきたことです。しかし、お弁当の場合はお母さんも気合が入っているだけに必要以上にその反応に“一喜一憂”してしまうようです。しかし、長く続けるためには“気負わず”に取り組むことです。お母さんが自分のことを考えてくれて、一緒に、一生懸命取り組んでくれていることで、お子さんは少々の“壁”くらいなら耐えていけるはずです。