14.“アレルギー”って悪者(=治すもの)?

  新聞・雑誌・テレビのワイドショーでは連日のように“生活習慣病”や様々な病気・“食”・環境汚染に関するものが取り上げられています。今は全ての国民の“健康”が脅かされています。そして、その原因も免疫力の低下、活性酸素による過酸化脂質の増加、環境ホルモンの影響、ダイオキシン汚染、遺伝子組み換え食品の影響、真菌説等様々です。では、そんな中で「どうしたら良いのか!」と言った、具体的な“対策”の中で共通して出てくるのが“食”なのです。今の時代、「“食”を選ぶ知識や眼を持つ」ことは、“健康”に生きる上でとても重要なことなのです。

 お医者様・栄養士さん等の“専門家”をはじめ、殆どの人には「何でも食べられることが“健康”なんだ」、「何でも食べられることが“幸せ”なんだ」と思われているようです。だから、「食べるものが制限される“食物アレルギー”は可哀想な“病気”であり、それだけで“不幸”だと考えてしまう」から、早く“治す”対象になってしまうようです。
  しかし、私にはどうしてもそうは思えないのです。それは、“アレルギー”がなく、何でも食べられて、何でも食べて“健康”だと思われているはずの人達が、例え“アレルギー”にならなくても様々な病気になっていて、それが増えているという現実があるからです。ですから、私には多くのお医者様が目標とされている「“アレルギー”を早く治して何でも食べられるようになる」ことが本当に良いこと・正しいことだとはどうしても思えないのです。“アレルギー”に対処する(=症状を改善する)だけでなく、基本的な食生活を指導しなければ本当の問題の解決にはならないのではないでしょうか? 

  たいした努力もしないで“アレルギー”が簡単に治ったら(=出なくなったら)どうなるのでしょう? “痒み”から解放されること自体には大いに喜ばしいことだとは思っています。しかし、私の身の周りにも生活習慣病に関係する疾患の患者が続出し、病院に行く機会が増えました。今まで行っていた病院とは違い、脳神経科や成人病専門、ガン専門の病院でしたが、その病人の多さに驚き、そして、それが低年齢者にも増え始めている現実を知りました。
 そして、その病院の食事が“和食”中心だったのです。そこで、殆どの人が初めてそれまでの“食”の間違いに気付かされ、後悔していることも知りました。そうした病気になった時に、治療上からも食べて良い食事は、普段食べても良い食事なのではないでしょうか? 逆を言えば、そうした時に食べない食事は、普段食べてはいけない食事だということではないでしょうか?
 そうした人達の“後悔”を、自分の人生に役立てられない人は同じ道を歩むだけでしょう。大事なのは、病気になったら“治療”して治せば良いと思うのではなく、そうした病気にならないよう日々“予防”に努力することではないでしょうか。

  “アレルギー”の症状には、一般に認識されているアトピー性皮膚炎や喘息や花粉症の他に、滲出性中耳炎、偏頭痛や不定愁訴、胸痛、関節痛、乗り物酔い、血尿、タンパク尿、便秘、下痢、嘔吐等として出る場合もあると考えられています。現在、表立っては問題にされていませんが“低体温症”やひどい“生理不順”も含め、私の知っている範囲でもこれらの症状が“食事”を始めとする日常生活の改善で軽減したケースを多数知っています。どれもこれもたいした“病気”ではないと思われているかも知れませんが、「風邪は万病の元」の言い伝えと同様、「小さな病気が大きな病気の原因になる場合もある」ことから考えても、現在の間違った食生活を続けていても“アレルギー”が出ない(=拒否する・認識しない)ことの方がどんなにか怖いことかということ、又、折角“食”の重要性を再確認し、多くの人達が様々な疾病やその不安から解放される最後のチャンスを貰いながら後悔する結果としないためにも、アレルギーを悪者にするのではなく、自分達の身体や環境の“危険信号”と捉え、上手に付き合っていく中で“健康”を害さないよう、地道に努力していくことが大切だと考えております。

はじめのコーナー トップページに戻る       はじめのコーナー その13 に戻る       はじめのコーナー その15 に進む