朝日新聞−2001年(平成13年)8月28日(火)

ポリティカ日本
やはり一方に偏した靖国参拝

 早野 透 (本社コラムニスト)   thayano@clubAA.com

 秋は小泉改革本番である。その前に、もう少し時間がある。いま一度靖国神社問題を考えておきたい。
 8用11日、市民団体の「平和のための証言集会」が国会近くで開かれた。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から強制連行や慰安婦の被害者らが来日して、貴重な証言を聞けるはずだった。
 行ってみたら「証言者は来日できません。でも会は催します」という張り紙が出ていた。どうしたのかと開会を待つと、主催者から「外務、法務省は入園OKと聞いていたが、首相官邸と相談したら不許可になったとのこと」と経過報告があった。
 代わりに来日予定だった3人のビデオでの証言が上映された。愛知県半田市の中島飛行機に徴用され、小麦や豆、キビのわずかな食事で1日14〜15時間も棒で殴られながら働いた男性、16歳のとき中国に連れていかれ、新聞紙で仕切った慰安所で軍刀で脅されながら日本軍の相手をさせられた女性……。
 フォトジャーナリストの伊藤孝司さんは韓国にはもう40回もでかけて戦争被害者を調べた。しかし北朝鮮の部分が空白だったのでねばり強い交渉で5回入国、この国にいる被害者を取材した。伊藤さんはスライドを使ってその報告をした。日本軍の軍医に胎児ごと子宮を取り出す手術を受けた傷跡のある女性、体にいたずら書きのような入れ墨をされた女性……。
 終戦の日の15日、前回の当コラムで触れた平和遺族会のデモを追いかけて靖国神社に行ったあと、神社内で開かれている特別展「かく戦えり。近代日本」をみてきた。この神社に合祀(ゴウシ)された祭神は「明治維新から大東亜戦争まで246万余柱」の戦没者と展示されている。
 死んでもラッパを離さなかった木口小平。肉弾三勇士。軍服のポケットの母の写真の裏に「お母さんお母さん」と24回書いた中尉の死。「大東亜戦争」と当時の呼び名で紹介して、各地の激戦模様、特攻隊員の遺書血書、終戦で自決した阿南惟幾、大西瀧治郎の遺書遺詠を展示する。むろん戦った相手側の被害についての展示はない。
 展示場に隣接の部屋で「君にめぐりあいたい」(企画制作・英霊にこたえる会)というビデオをみた。「大東亜戦争」の戦闘の映像、回想する人々の話を織りまぜながら全編53分、こんなナレーションで盛り上げる。
 「闘える者は、すべて国のため、愛する家族、恋人を守るため戦場に赴いたのです。しかし、英霊の御心は聞き届けられず、日本は侵略戦争をして、日本軍は悪いことをしたという罪の一端まで背負わされているのです」
 日本軍の累々たるしかばねの映像のあとに。
 「この将校にあなた方は悪いことをしたと言えますか。言う必要があるのですか」
 沖縄の女子学徒看護隊員の「散るべき時には、立派な桜花となって散るつもりです。その時は、うちの子は偉かったと褒めて下さいね」という遺書、特攻隊員の数々の遺影遺書の映像のあとに。
 「侵略戦争だった、虐殺をしたという人もいます。それは大東亜戦争を正しく理解するのではなく、日本弱体化を推し進めたアメリカの言い分を信じ込んでいるのと、それを学校教育に盛り込んだことに大きな原因があります」
 あの戦争を侵略戦争とするのは「歴史の偽造」であり、日本の自衛戦争だったとるる弁じたあとに。
 「目を覚まして下さい。虚偽の仮面を剥ぎ、本当のことを知って下さい」

 だが、戦争で死んだ人々はこんな議論を喜ぶだろうか。敵も、そして味方の命をも粗末にした戦争の全体像がつかめるようになった今日、もっと大きい気持ちで追悼をしたい。首相の靖国参拝はやはり一方に偏して不適切だったというほかない。

※元首相夫人の三木睦子さんも呼び掛け人に名を連ねているこの証言集会は、毎年この時期に開かれて、私も何度か傍聴したことがある。いかに戦争で人々を粗末に扱ったか、ひたすら歴史の痛みを心に刻んでおきたいという集会をなんで政府が邪魔する必要があるのか、疑問である。

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