朝日新聞−2001年(平成13年)8月28日(火)

家庭

ティーンズメールA

「男は女を守るもの?」  福岡県《女性・16歳・高校生》

 最近、男女平等社会という言葉を聞くことが多くなりました。私たち女性にとってはとてもよい環境ができつつあると思います。
 しかし、私は、「男」と「女」を全く区別なしに扱うことには無理があると思うのです。
 「男は強く、女は弱い」。これは覆しようのないことです。生物学上こうなるように定められているのですから。だから私は、強い者が弱い者を守るのは当たり前のことであると思います。守られることは気持ちのよいことなので、だれもそれ自体を嫌がる人はいないでしょう。ただ、それを理由に見下されることが嫌なのです。対等な立場であることを否定されるのが嫌なのです。
 結局のところ、「守られたい、そしてなおかつ対等でありたい」という矛盾した気持ちが自分の中にあるのです。
 チヤーシユーメンを食べたいと言った女の人をおいしいラ−メン屋さんに連れて行ったら、ほとんど手を付けません。どうしたの、と聞いたら、「だって脂身があるからやっぱり嫌なんだも−ん」とにらまれました。あまりにしょうもない例で恐縮ですが、私の知る限りにおいて、女は男からは丸見えの、しかし本人は気付いていない無責任さを持って生きているような気がします。女の本質は矛盾かもしれません。
 しかしそのことを男が批判できるのかと言うと、私はそうも思いません。男の本質もまた矛盾だからです。彼女に「君しかいない」と言っておきながらなぜアダルトビデオを借りて来るのか。政治が悪いと激高しつつ、なぜ選挙の日に二日酔いで寝ているのか。その口にチヤーシューねじりこんでやろうかと思いながら、なぜ「だったらおれがさっぱりしたラ−メン作ってやろうか」などと下心丸出し男になれるのか。我がことながらなぞは深まるばかりです。
 つまり私たちは双方とも矛盾した存在で、だからこそお互いを求めるのかもしれません。どちらか一方が自己陶酔の主張を繰り返せばむなしい争いを招くのは、男女間も国家間も同じことでしょう。
 自分もまた矛盾した存在であることを知るのは、「守ってやる」という時代遅れの言葉を振りかざすより、はるかに多くのものを守る姿勢なのだと思います。

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