毎日新聞−2001年(平成13年)06月18日(月)
「公害の原点」と呼ばれる水俣病。しかし、原因となったメチル水銀の生成過程や排出状況は、きちんと検証されないまま放置されてきた。チッソ側の資料が少なく、訴訟でも争点にならなかったためだ。東大名誉教授(化学工学)の西村肇さん(68)=横浜市青葉区=は、チッソの元労組委員長、岡本達明さん(66)=埼玉県新座市=と共同で10年以上にわたって取り組んだ研究報告を、1冊の本にまとめた。2人は「水俣病の惨劇を教訓に変えたい。この本は全容解明に向けた問題提起だ」と話す。 【元村有希子】 |
この本は20日に発行される「水俣病の科学」。岡本さんが28年かけて集めた膨大な資料を基に、西村さんが科学的な視点で疑問点を整理。新しい知識に基づく実験や資料を使って一つずつ検証した。その中で二つの大きな謎の解明に挑んだ。
水銀はそのままの無機の状態でも有害だが、炭素と結合してメチル水銀などの有機水銀になると毒性がさらに強まり、脳の内部まで入り込んで神経系を侵す。
チッソはアセトアルデヒドを製造する際、触媒(反応を仲介する物質)に水銀を使っていたが、排出したのは「無機水銀だ」と、水俣病との関連を否定し続けた。その後、メチル水銀だったことが分かり、訴訟でもその責任が問われたが、患者発生までの22年の〃空白〃の理由は未解明のままだった。
チッソは51年、触媒の水銀を活性化させるために加える酸化剤をマンガンから濃硝酸に変えた。西村さんはメチル水銀生成の仕組みを解明したうえ、マンガンが、水銀をメチル水銀に変える作用を抑制する働きをしていたことを実験で証明した。
実験で得られたデータと、公表済みのアセトアルデヒド生産量を基に、副産物としてのメチル水銀の量を試算。実際に工場の外に流された排出量の推定値をグラフ化した結果、酸化剤変更の前後で排出量に10倍の差があることが分かった。このデータの経年変化は、患者数の増減から推定したメチル水銀の排出量とも一致した。
西村さんらは集めた資料の中で、チッソがアセトアルデヒド製造に使った水の塩素イオン濃度が特に高いことに注目した。実験してみると、塩素イオンが多いほど、メチル水銀が蒸発しやすいことが判明した。アセトアルデヒド製造装置に閉じ込められるはずのメチル水銀が蒸発して最終工程まで移動し、排水に混じったと推測できた。
岡本さんは57年に東大法学部を卒業後、チッソに入社。幹部候補として水俣工場に配属されたが、患者側と共闘して会社側を追及した。70〜77年には同工場第一労組委員長。90年に定年退職した。73年から、組合員の協力を得て工場の資料を集め始めた。
一方、西村さんは自動車排ガス規制の実現にかかわるなど、環境汚染の研究を続けてきた。70年にチッソが打ち出した経営改革案(合理化案)の検討を通じて岡本さんと知り合った。89年には岡本さんらと研究会を発足させ、資料の科学的な分析を主導してきた。
岡本さんを突き動かしたのは、「工場で一体何が起きたのか」という疑問。「工場で起きたことや、排水がどのように海を汚したかについてチッソも行政も事実を隠し、究明を遅らせてきた。水俣病はまさに、1階がない建物。私達はその1階を構築したかった」と言う。
西村さんは「岡本さんが集めたデータと、私の構築した理論が結びついた。水俣病がどうして起きたのかを再現できたと思うと話した。
「水俣病事件四十年」などの著書があるジャーナリストの宮沢信雄さん(65)=宮崎市=は「被害の実態解明の後、残された課題に科学的に迫ったことは大きな意味がある」と、同書を評価している。
「水俣病の科学」(日本評論社 03−3987−8621)は、350n、3,300円
アセトアルデヒド アセチレンと水を化合させてつくられる化学物質。塩化ビニルなどの原料となるため重宝された。チッソは32年に生産を開始し、50年当持のシェアは国内トップの25%を占めた。 |