毎日新聞−2001年(平成13年)06月01日(金)

生きる―小児がん征圧キャンペーン

希望を持ってB―闘う子供の支えに

 「つい昨日みたいなのにねえ」。福岡県吉井町の自宅で高橋和子さん(54)は、大好きだった俳優の西田敏行さんと並んで微笑む長女聖子(ショウコ)さんの遺影を見やった。
 聖子さんは82年11月、腹部の神経にできるがんである神経牙細胞腫で亡くなった。9歳4カ月だった。
 死の数カ月前「西田さんに会いたい」という願いをかなえるため、両親は娘を東京・渋谷のNHKまで連れて行った。快く撮影に応じてくれた西田さんとのツーショットは宝物になった。(財)がんの子供を守る会九州北支部代表・高橋和子さん=福岡県吉井町=「病気の子供の生活を充実させたい」
 入院先の久留米大病院は、当時から親に治療内容をきちんと説明していた。高橋さんはさらに踏み込んで聖子さんにがんであることを告知し、共にがんと闘った。2年3カ月の闘病は「聖子は鳥になった」(潮出版社刊)に記録され、テレビドラマにもなった。
 それから20年近く。いま、高橋さんは財団法人がんの子供を守る会の九州北支部代表として、約250人の会員を引っ張り、小児がんの子供と家族を支えている。
 がんの子供を持つ親に「たとえわずかな命だとしても、子供の生活を最大限充実させてやるのが親の務め。がんをいたずらに恐れることはない」とエールを送る。
 福岡県宗像市の安井登代子さん(40)は、福岡市の病院に入院する小児がんなどの子供の家族のための滞在施設を運営する。
 長男健吾君(18)は小学6年のときに急性骨髄性白血病で入院した。神奈川県に転院する息子に付き添うため、安井さんは病院近くに部屋を借りた。福岡に残った夫、二男と離れ離れの生活が退院までの11カ月続いた。
 健吾君は病気を克服し今春、短大生になった。この苦しい体験から安井さんは98年、九州大病院で知り合った母親たちと滞在施設の運営を始めた。マンションや二戸建て住宅を提供してもらい、1泊800円で家族らに利用してもらう。
 今では5カ所10部屋を紹介できるようになった。しかし、利用周希望者が多く、部屋は予約ですぐに埋まってしまつ。
 「もっと部屋を増やしたいし、患者の家族だけでなく、地域の人にも施設の運営を手伝ってほしい。そうすれば小児がんの子供への理解が進み、安心して闘病できるようになる」と願いを語った。 【加藤学、安達一成】

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