井戸端会議でケアしましょ■■6
 「いい人」のジレンマ  たけながかずこ

 「仕事ができる人 できない人」(堀場雅夫著)の本に、「いい人」は無能の代名詞である! − という見出しを見つけました。「看護・介護職はみんな『いい人』が多いのだけれど、仕事としては無能ってこと?」と興味をそそられて読んでみました。どの項目も説得力があり、さすがベストセラーと納得しましたが、「日本の仕事風土がこうでは、看護・介護職は浮かばれない」と思う一点がありました。
 「たとえば洗濯機は洗濯だけ、炊飯器はご飯を炊くだけ……日本の企業の経営者は社員にお手伝いさん(雑用などすべてを自分の裁量でこなす人)を求めている」というくだりです。経営者でなくとも、日本の消費者(要介護者の家族)はこの種のお手伝いさんタイプを求めていることはよくわかります。「洗濯機は洗濯する機能だけ果たせばいい」では受け入れられない。洗濯するなら乾いた服を収納して、ついでに掃除して、あれこれ気配りし、優しさもサービスに含まれないと満足しない消責者と経営者意識。さらに「サービス残業」という言葉に代表されるように、形の無い「サービス」はあくまでタダが基本なのです。これが困ります。
 今の介護保険制度で介護職の仕事は、何人、何件、何分間と、計量され、その売り上げによってしか収入が計れないシステムです。一方で、お年よりとご家族からは盛りだくさんの「思いやり」を無償の行為として求められます。もともと優しいからこそ、この仕事につく人が多いのに、自分が納得できる仕事をすると利益が上がりません。経営者の言う通り、売り上げを上げると、「いったい自分は何のために仕事しているのだろう」と、「いい人」、「優しい人」ほどジレンマに陥ります。
 自己矛盾で困惑している悩み深いケアラーに豊かな優しさを求めるのは酷なのです。サービスの質が働く人への報酬として反映されるプログラムの開発はできないものでしょうか。効率追求、物つくり型の経営と人事では、介護に携わる人々にとってやりがいを感じにくいのです。それどころか、感情も体調もバサバサと乾いたものになりやすいという実態を多くの人に何とか理解してもらいたいものです。
                                                          (ケア・コーデイネーター)

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