読売新聞−2001年(平成13年)05月15日(火)

病院を変えよう 医療ルネサンス 通算2607回
 裁判で問う−1−    「なぜ、虫垂炎なんかで」

 「サブ」、と家族から呼ばれていた三郎は、名前の通り、太郎、次郎の兄がいる三男坊。身体はがっしりしていて、中学で柔道部に入った。上の兄とは四つ違い。快活な末っ子は、皆にかわいがられた。

腹痛治まらぬ三男

 90年6月20日、神奈川県逗子市の豊住三郎君(当時12歳)は、前夜から眠れないほどの腹痛とおう吐に襲われた。一週間前に腹痛で近所の診療所を受診したが、「風邪」の診断。下痢が続き、母の朝子さん(55)は、車で病院の小児科へ連れていった。
 「盲腸(虫垂炎)ではありませんか」と尋ねたが、触診の結果、「風邪による胃腸炎」と診断。下痢止めを処方された。
 ところが、腹痛は治まらず、翌21日朝、別の病院を受診。血液検査では炎症を示す白血球数が異常に高い。超音波検査の結果、朝子さんが考えたように虫垂炎と診断され、午後の手術が決まった。
 「期末試験の勉強の時間はあるかなあ」、「入院は普通一週間ぐらいだから、大丈夫でしょ」。母子で話した後、サブは手術室へ向かうストレッチャーに自分で立ち上がって乗った。
 午後4時から1時間の手術。あとで「急性穿孔(センコウ)性虫垂炎」と説明を受けた。すでに虫垂に穴が開き、うみが腹腔内に漏れていた。8日間の入院が必要ということだった。
 病室で対面したサブの顔は土色に変わっていた。血圧を測る看護婦に「お前はだれだ」と言うなど言動がおかしい。「麻酔のせい」と言われたが、熱は40度を超えた。
 翌22日。ベッドの上で暴れ、呼吸は荒い。「殺される」などとうわごとを口走り始めた。

急死に不審、提訴

 午後8時、暴れるサブを鎮めるため、鎮静剤を注射。間もなく呼吸できなくなり、酸素吸入が始まる。「急性汎発(ハンパツ)性腹膜炎による敗血症」と医師から説明を受けた。
 虫垂から漏れた細菌が腹膜に感染。血流に乗って全身の臓器に広がった。3日前まで元気だったサブは、両親の目の前であっけなく逝った。
 「なぜ、こんな病気で」。注射の後、容体が急変したので、父の武志さん(60)は「何か間違いがあったはず」と亡くなった時には裁判を決心していた。
 葬儀の後、サブの状態、医師の説明を思いだし、夫婦で3日かけて治療経過のメモを作った。「一行書いては、思い出して泣いて。なぜ、救えなかったか自分を責めて……」と朝子さんは振り返る。
 10年過ぎた今も続く、闘いの始まりだった。                                  (波辺 勝敏)

訴訟の準備
 医療被害を受けると、怒りや後悔、悲しみに打ちのめされる。しかし、重要なのは、冷静になり、記憶が薄れないうちに、事故前後の患者の状態や、医師による治療の説明などを時間を追ってメモにすること。弁護士や協力医師への説明に役に立つ。

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