読売新聞−2001年(平成13年)05月14日(月)

子どもの心−小学校で
自分の責任で しかれない大人

 放課後、校庭の隅にある小屋から、若い先生が子どもに注意する声が聞こえてきた。「ここで遊んじゃいけないって、いつも校長先生に言われているでしょう。しかられるわよ。早く出なさい」
 何というしかり方だろうと、ため息が出てきてしまった。私が小屋に入らないように言ったのは、中に置いてある石灰の粉が目に入っては危険だからだ。その肝心の理由を伝えずに「人にしかられるから」とは……。子どもに恨まれたくないからか、だれかに責任を押しつける。そんなしかり方を平気でする大人が増えたような気がする。
 先日も学区内の駅から「子どもたちがエスカレーターの逆乗りをして困る」という連絡が入った。翌朝、先生たちには各クラスで厳重に注意してもらった。
 ところが、その日の夕方、再び駅から「また悪ふざけをしていて、一般の乗降客からもクレームがあった」と電話してきた。子どもたちを駅長室に連れてきて保護者も呼んだから、学校からも教師に来てほしいとのことだった。
 駅長室に入ると、小屋の時と同じようなセリフが耳に飛び込んできた。「ホラ、駅長さんも怒っているでしょう、早く謝りなさい。まったくみっともないったら。早く謝って許してもらいなさい」と母親の一人。ほかの保護者は決まり悪そうな顔をしていた。
 「悪いことは悪い。子どものしたことは自分だけでなく周囲も危険にさらす行為だ」と言い聞かせるべき場面なのに、それができないのだからあきれてしまった。こんな親に決まって、もしも子どもがエスカレーターでけがでもしようものなら、「どうして駅員は注意してくれなかったのか」と言いかねないと思う。
 きちんと子どもをしかるのは、それほど難しいことではない。なぜ悪いのか、なぜやってはいけないのかを自分の責任で言えばいいのだ。それが基本だと思うのだが……。                                        (和)

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