毎日新聞−2001年(平成13年)04月17日(火)
サクラが散り、木々が急ぎ足で緑の色を濃くしている。季節が移ろい行く中、この4月、学校生活を終え、社会に出たたくさんの人たちはどのような日々を送っているだろうか。
わずか半月余りだが、新しい仕事に意欲を燃やす人がいる一方、「こんなはずではなかった」と早くも転職を考え出した人がいるかもしれない。
終身雇用・年功序列の日本型経営が崩れ出して久しい。新社会人が加わった日本の企業社会の状況はかつてなく厳しい。入社式などで企業トップが語った言葉から、ここでは2人の発言を引こう。
まず、日産自動車のカルロス・ゴーン社長。「皆さんが楽で居心地のいい職場を希望しているのであれば、日産は見当外れかもしれない。逆に課題に挑戦したいと考えているのなら、日産はふさわしい場所だ」。もう一人は、NECの西垣浩司社長。「NECで一生を安楽に過ごそうなどと考えず、会社は2、3回変わるぐらいのつもりで、(自分の)市場価値を高めてほしい」
企業は変革の時代にふさわしい人材を求めている。「寄らば大樹の陰」的発想は許されない。
では、この時代、どう生きるべきか。「会社人間」という言葉がある。むろん、今でも使われる。だが、これからは求められる企業人は「会社人間」ではないだろう。大切なのは、「会社」ではなく何よりも「自分」なのだから。
「そんなことはとっくに分かっているよ」。新社会人を含む「今どきの若い人」には、そう言われてしまうかもしれない。だが、問題は、この先である。大切な「自分」とは、いかなる「自分」か。
たいていの人は生きていくためには働かなくてはならない。その意味で、「仕事」は大切な「自分」と分かちがたく結びついている。「自分」の一部と言ってもいい。
和製英語の「フリーター」という言葉が盛んに使われるようになったのは1980年代末からだ。そこにはバブルのにおいがただよう。経済大国・日本では、定職を持たずにいてもけっこう優雅な生活が送れるようになったらしい。
仕事が自分に合わないと思ったら、やめればいい。だが、「仕事」と大切な「自分」との分かちがたさを考えれば、「フリーター」感覚での転職はお勧めできない。
実社会は学校社会に比べて不快なことが格段に多いだろう。学校は実社会とは別の世界だったのだから当然である。新社会人たちには「不快に耐える強い自分」を作れ、と言いたい。さまざまな「不快」に単純に反発するのではなく、まずはじっくりとその現実を見つめること。それができることが、成熟した社会人の資格である。
意欲も能力もありながら、それに見合う仕事が得られない現実もが一方で確かにある。とりわけ、女性にとって厳しい状況はいまなお続いている。こうした社会を作ってしまった先行世代の責任を自覚しつつ、新社会人にエールを送る。ともに「強い自分」を鍛え、よりよい社会を作っていこう。