毎日新聞−2001年(平成13年)04月16日(月)

さだまさしの日本が聞こえる

「野茂の一所懸命に泣いた」

 もはや旧聞に属するが「ノーヒット・ノーラン」である。野茂である。あの日、僕は疲れていたにもかかわらず、何故か朝いつもより早く目覚めた。で、野茂である。テレビをつけたら回は六回。異様な雰囲気はすぐに伝わってくるが、寝起きのぼうっとした頭にはそれが生か録画かもわからず、ただ眺めていた。七回に入ってようやく、これは生で、今、野茂がここまでまだヒットを許していないのだ、ということが理解できた。途端に目が覚めた。大変な事が起きるぞ。人ごとながら身体が震えてくる。だって、メジャー・リーグ百年という長い歴史の中でア・リーグ、ナ・リーグ両リーグでノーヒツターになった投手は過去三人だけ。そのうちの二人の名前は誰だって知っている。サイ・ヤングとノーラン・ライアンだ。偉いことになった、と緊張さえし、それからは祈るような気持ちで画面に見入った。
 今でこそ沢山の投手が或いは打者がメジャー入りし、活躍するが、そんな場所を切り拓いた男が野茂だった。それはみんな記憶している。だが、このところの不振で「もう、彼の役目は終わった」とさえ言われた。NOMOではなくNO−NOだとまで言い捨てられた男の魂に火がついているのが画面から伝わってきた。「いい顔だ」僕は八回の野茂のマウンド上の芯のある眼をみてほれぼれしていた。「うん。これは出来たな」同時に偉業を確信した。
 こうして彼は"史上四人目"という"メジャーの伝説"になった。イチローも立派だし新庄も頑張っている。佐々木も長谷川も鈴木もみんな素晴らしい。人々は常に新しいヒーローに群がっていく。野茂投手本人は否定するだろうが、観客は「なにくそ、俺が拓いた道だ」という開拓者のプライドを感じ取る。最後の打者の力のない打球がレフトに上がった時、感動で涙がこぼれた。「生きる」、「生きてみせる」という『一所懸命の力』は沢山の人の心に勇気を与える。頑張ろう、と何人が励まされただろう。ありがとう。

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