読売新聞−2001年(平成13年)04月08日()

読書

グレゴリー・E・ペンス著 「医療倫理」
微妙な論議、冷静に

 サルやヒヒなどにヘルメットをかぶせる。そしてベルトでがんじがらめにしたうえで、ハンマー様のもので何度も何度も頭に激しい衝撃を加える。それは、頭部に外傷を受けた人間の研究に供するために行われる動物実験だ。そして他にも無数の実験が行われ、多くの動物が使われる。それがあまりに残酷に思えるとき、反対グループがその種の実験室に侵入し、捕らわれている実験動物を「解放」する。だが、そのせいで実験目的の病気や事故のためのデータがとれなくなってしまう。この二つの背反する行為を前にしたとき、われわれはどう判断すればいいのか。動物に残酷であっても人間に優しければいいのか。動物を人間の純粋な手段として使い、その苦痛には無関心であってもいいのか。
 前に公刊されていた第一巻では代理母、植物状態の患者の延命問題などが扱われていたが、今度でた第二巻では上記の動物実験以外にも、心臓移植、エイズの強制検査など、この種の微妙で難解な問題が取り上げられている。その記述は冷静沈着で、対立する考え方がともに配慮されており、バランスがとれている。
 だが全体を通読してみて、ある種の物足りなさも残る。それは本書の利点でもあるのだが。つまり、分析があまりに端正かつ冷静なので、ときに激情も絡むこの種の話題のもつ熱気が分析の目で細切れにされ、どこかの「概念的な棚」に収められてしまう、という感じがするのだ。割り切れなさをそのまま引きずり、即断を避ける。そして法的闘争とは違う位相の議論への定位をたえず自分に課して、複層的な判断を下すように試みる。それもまた、必要なのではないか。本書は生命倫理の「教科書」としては、間違いなく一級品ものだ。だが、教科書的記述にはそぐわない話題というものもある。この本が妙なマニュアルのように扱われ、倫理が一種の手続きに化けてしまわないことを心から祈る。    宮坂道夫・長岡成夫訳。(みすず書房、1、2巻各5500円)

◇ペンス=1948年、米・ワシントン生まれ。アラバマ大学医学部、哲学部教授。    評者・金森 修(東京大学助教授)

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