毎日新聞−2000年(平成12年)12月16日(土)

教育

教育の森 自らを重ねる同世代
−連載「事件の理由」への反響−

 朝刊3面で先月22日から12回連載した「生きる力」を考える−第1部「事件の理由」にさまざまな感想、意見が寄せられた。21世紀を前に変容する社会の中で、自ら考えて判断し、一人の人間として自立して生きていく力に焦点を当てたシリーズは、まず、事件を起こした少年たちの心の動きを追いながら、その育ち方や家族との関係の検証を試みた。投書には、「自分と似ている」と自らを重ね合わせる高校生や、子供の心が見えずに不安を訴える親世代からのものが目立った。一部を紹介する。
                                                                  【教育取材班】

強さと弱さは紙一重
            ■岐阜県大垣市、高校1年、サユリさん(15)
 子供をナイフでいたぶって逮捕された功治=仮名=の記事を読んで、私も彼と同じようにアトピー性皮膚炎ということもあり、非常に衝撃を受けました。事件を起こした直接的な原因がアトピーではないとしても、原因因子のどこかにそれが含まれていると思うのです。
 記事を読み、私と彼はよく似ていることに気付きました。アトビーのことも、いじめられたことも、自信をつけるために勉強に力を入れたことも。でも私は事件を起こしたことはありません。いや、そういうことをするだけの決意をする勇気みたいなものがなかっただけなのです。彼は「行動を起こす」という、勇気みたいなものを持っていたのだと思います。でもそれは弱さからのもので、強さからのものではありません。
 強さと弱さは紙一重なのだと私は思います。どうせなるなら強くなりたい。私にはコンプレックスやトラウマがあるから余計にそう思うのです。「事件を起こす」という許されない選択をしてしまった彼には、きちっと更生するチャンスがあります。だから私は、彼が本当に強い人間になることを願っています。
親はわが子に最大限の愛を
             ■埼玉県坂戸市、主婦、佐藤郁子さん(58)
 少年事件の記事を目にするたび「何で」といつも思っていた。今28歳の息子の少年期の教育でてこずった時にも「どうして」と思ったが、振り返ってみるとやはり自分の意思、気持ちを相手(友人、親、教師など)に伝えるのが下手なのだろうと思う。
 息子が赤ん坊の時は仕事(着物の仕立て)などにかまけて、あまり話しかけなかったような気がする。3歳ぐらいまでにべたべたした親子関係を持っていたらよかったと今になって思う。
 親はせめて子供が17歳ぐらいになるまで全神経を子供に向ける必要があるのではないか。
 最近の親は仕事もしているし、忙しいだろうが、我が子がかわいいと思ったら最大限の愛を注いでほしい。そして防げるものなら少年の殺人事件はこの世からなくしてほしい。
          
同じ状況に陥る可能性も
              ■東京都八王子市、宇都宮節子さん(18)
 私は現在18歳で、洒鬼薔薇聖斗を名乗り、殺人を犯した彼とはほぼ同じ年だと思います。酒鬼薔薇に興味を持って金づち殴打事件を起こした昭夫=仮名=の「こうすれば今のこの世から抜け出せるのではないかと考えた」という言葉が出てきますが、洒鬼薔薇に共感さえした理由はズバリこの彼の言葉だったのではないかと思います。
 どんな人にも思春期に「価値観の崩壊」が訪れるのかどうかは分からないのですが、私はちょうど中学3年の時にそれが起こりました。自分の価値観を見つめる時に自分の過去や現状がどうしようもなく窮屈に思えたり、自分ではどうしようもない力で抑え込まれているような気がしてしまうのは、私だけじゃないんじゃないかな。だから現状を突き破るために冒険や危険を冒してみたくなったり。 昭夫が望んだのも現状打破のために自分を試すことだったのではないかと思います。酒鬼薔薇、バスジャックや殺人を犯した少年たちに同情などしませんが、だれでも同じ状況に陥る可能性があることだけは事実だと改めて感じました。
高度消費社会が必然的に生んだ
         ■千葉県佐原市、高校教諭、高橋清行さん(49)
 金づち殴打事件を起こした少年は、ほかの少年たち以上に思春期の自分に不安を抱き、近代の社会規範に代わるほどの強烈な刺激を自分につくっていかなければ、自分の実存を確認できなくなっています。
 「僕は弱い人間なんかじゃない。これくらいのことはできる」。そう思わずには自分を確認できないところにいます。
 このような少年は現代の高度消費社会そのものから必然的に生まれてきたということです。高度消費社会を楽しんでいる多くの少年の一方で、社会になじめず、うまく自分をつくれなくなっているのです。そういう少年たちに何をどうすればよいのか。これは本当に難しい問題です。
 私はこの高度消費社会を否定するつもりはありません。多くの人たちはこの高度消費社会の到来によって、むしろ自分の人生を生きられるようになって喜んでいます。その上でどうすればよいのかということです。
運命と戦ってほしい
                     ■女性
 過食で万引きを繰り返した美加=仮名=は、幼い時に親の愛を受けることなく成長したため、心が常に飢え、寂しいのでしょうね。実加は「自分が悪いのではない」と言う。それは当たっているけれど、運命と戦ってみてほしい。あきらめず積み重ねていってほしい。
 それには傍らにソーシャルワーカーのような存在の人が必要と思われます。
 今、夫婦や家族の形が変形してきており、子供たちにそれらのひずみが現れている。子供受難の時代かもしれません。それらのニュースを目にするたび、とても悲しくなります。
自分に置き換えて
           ■東京都飾葛区、元教師、吉田静枝さん(73)
 人は生まれた後、両親の性格や環境を脳の働きが受け止めながら成長していくのだと思います。同じ資質を受け継いだ兄弟姉妹でも、成長過程において異なった人格の持ち主となります。それを上手に成長させるのが親の立場です。時には甘やかし、厳しいしつけもし、子供のけんかを見守るのが親の役目です。
 何事も自分の身に置き換える教育が必要ではないでしょうか。「人を殺してみたかった」と言った少年がいましたが、「自分が殺される立場になったらどうする?」と問い掛けるべきでしょう。
子育てる側の質向上が必要
                      ■埼玉県大宮市、女性
 私には4裁と5歳の子供がいます。10代の事件が多発する中で人ごとではありません。自分の子供がこのまま成長していくと、一体どうなるだろうかという不安は、赤ちゃんのころよりもだんだんと大きくなるばかりです。
 若い人たちが事件を起こすと必ず家庭のこと、幼児期のことを分析、批判されます。多くの原因がそこにあるからなのか、そこを追求した方が社会全体が納得するからなのか。
 どんな理由にせよ、そこに行きつくのなら、一人の人間を育てるには何が必要でしょう。宇宙のように広い心、海のように深い愛情、何があっても子を裏切らない誠実さ。何があっても崩れない忍耐力、前向きな心なのでしょうか。
 子供と接してきて自分が幼児期のころ、親に対してどうだったのか、父親が私に対してどうだったのかという遠い記憶が引き出されたように思います。私は年とともに外見は成長してきたけれど、内面は成長しきれていないと思いました。そんな自分が子育てをするんです。子供の内面まで育てることがとても困難です。
 私も子供に「大好きよ」と言っても、子供は「本当にそう」という顔をしています。そんな時、とても苦しくなるのです。家庭というベールに覆われた部屋の中で行われる子育てはとても危険な要素を持っているかもしれません。
 人間にしか人間を育てることはできないなら、育てる側の質を上げなければいけないのでしょう。
子供のしつけ学校任せに
          ■兵庫県西宮市、高校2年、平山加奈恵さん(17)
 先月、我が家は引っ越しをして忙しくなり、母はその忙しさで私の話をなかなか聞いてくれませんでした。そんな日が1週間ぐらい続いて、私は耐えられなくなってしまいました。学校で起こる悩みや受験への不安がどんどん大きくなって、母の前で泣いてしまいました。すごく恥ずかしかったのですが、母はちゃんと受け止めてくれました。
 先輩をバットで殺害した記事の「隆司君」は小さいころから親と話さなくなり、一緒に食事もしなかった。どれだけのストレスを抱え込んでいたのでしょう。気づかないうちに大きなストレスを持っていたはずです。きっととてもつらくてさみしかった。考えただけでも涙が出ます。子供が親をこんなにも必要としているのに親は気づかない。
 よく学生が事件を起こすと「学校は何をしているんだ」とか言って、学校の責任になっているが、これはおかしいです。子供のしつけを学校に任せてしまっている親が増加している証拠です。学校とは、家庭とは、昔からあったそれらの正しい道を、私たちは失っているのかもしれません。
           
自分の身の回り見直すこと期待
            ■福岡市中央区、高校生、岡邑衛さん(18)
 野球部の先輩を木製バットで殺害した事件の記事を興味を持って読みました。事件の背景が新聞に記載されることによって、一人でも多くの読者が自分の身の回りを見直すことを期待します。事件の背景を冷静に見ることで社会が事件を防ぐことができるような環境になってほしい。事件をきっかけに、少年が通っていた中学校も変わったようです。それが一番正しい周囲の反応だと思います。
 


             記者ノート         「自立」と「社会性」
 先月スタートした年間企画の大テーマは「生きる力を考える」。生きる力と聞くと、私は小学生の時の通知表を思い出す。
 通知表には国語や算数など各教科の5段階評価だけでなく、生活態度や性格を見る欄があった。「協調性」とか「責任感」とかだ。その中に「社会性」というのがあり、私は何なんだろうとしばらく疑問に思っていた。父に尋ねたら、そのころ、別の小学校と合同でやったキャンプを引き合いに出し、「どうだった? お前はあんまり得意じゃないだろう」と言われた。ちょっと傷ついたが、そういう物の見方があるのかと思った。
 「事件の理由」の取材で、事件を起こした少年たちに話を聞いた。当時の葛藤や不満、心の動き、事
件の背景が少しずつ見えてきた。つまずきの理由は一様ではないが、「私を分かってほしい」という満たされない気持ちを抱えているように思った。
 自分とは何か、思春期にはだれもが悩む。自分なりにその答えを見つけ、自立していくことが生きる力ではないか。社会で人とかかわりながらやっていく力、社会性みたいなものが生きる力に通じると思うが、どうだろうか。
                                                                   【五十嵐英美】

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