毎日新聞−２０００年（平成１２年）１２月１０日（日）

殺さないで　児童虐待という犯罪
第７部　�A

「スマイルマム」事件

　「ほいくえん。こわい」

　長男（２）の覚えたばかりの言葉が、ズキッと母（24）の胸を刺した。遊びに来た友達がごみを取ってあげようと髪に手を伸ばした途端、おびえたように両手で頭を覆う。

　長男は神奈川県大和市の無認可託児所「スマイルマム」に通っていた。経営者の出雲順子被告（29）は起訴された２件の傷害致死と５件の傷害事件のうち２件は大筋で認めているが、残りの大半は「知らない」と否認している。乳幼児ばかりの「密室」でいったい何が行われていたのか……。逮捕から５カ月余。警察に寄せられた相談では、１年５カ月の間に、63人の幼児が入所し、このうち31人が虐待を受けたという。

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　二つの私鉄が交差する大和駅から徒歩で数分。スマイルマムは白く輝くビルの５階に昨年２月オープンした。「サツマイモをふかしたり、うちはおやつも手作りしています」。視察に訪れた県内の託児所経営者グループに、エプロン姿の出雲被告は目をキラキラさせて説明した。24時間対応する精力的な経営、深夜でも１時間700円という料金の安さ。そして、「子供たちが過ごしているとは思えないほど、こぎれいな室内に驚いた」と一人は言う。

　「敬語も丁寧で、育ちの良さが出ている」。多くの母親の目に出雲被告はそう映った。建設会社を営む父母に育てられ、私立高校に進学。だが、普段物静かな出雲被告が、昼食時に弁当のふたを開けた瞬間、怒りをあらわにし、興奮して母親に電話をした姿を同級生の一人は覚えているという。

　卒業後に進んだ東京都内の建築専門学校は「成績は中の上。問題行動や長期欠席などの記録は一切ない」という。だが、そのころから出雲被告はアダルトビデオやアダルト雑誌のモデルを始めた。建設会社に入社後、妻子ある男性と交際し、男性の自宅周辺に中傷ビラをまいた。デートクラブを通じて複数の男性と親密に交際した。

　２年前に父が死亡してから、さらに人生の軌道は外れていく。未婚のまま３年前に出産した長男と病弱な母親との３人暮らし。長男の養育と仕事を兼ねてスマイルマムを開設した。出雲被告は「経営は赤字で苦しかった。消費者金融に借金があった」と供述した。デートクラブでの日銭稼ぎも続けざるを得なかった。

　開設して１カ月足らずのころ、出雲被告は自分の長男の足を踏んだ子を平手打ちにした。おしっこを漏らした子は手で数回殴打した。「ストレスなんてなかった。なぜやったのか自分でも分からない」。出雲被告は週２回接見に訪れる弁護士に漏らした。

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　11月17日の初公判。裁判長から名前を問われた出雲被告はしばらく沈黙し、両手で顔を覆って泣き出した。名前を答えるまでに３分間の沈黙があった。

　「本当のことを話してほしい。何があったのか知りたい」。傍聴席から出雲被告を見つめた母親（26）はふっと息をついた。今年２月18日、長男（２）をスマイルマムに預けた。ぐずる長男の両肩を、出雲被告が抱えた。長男は「ママ」と声を上げ、手を伸ばしたが、そのままドアを背にした。７分後だった。まだ同ビル内の化粧室にいた母親の携帯電話が鳴った。「ひきつけを起こしたので来てほしい」。あわてて引き返すと、長男は裸の状態で右半身を下にして倒れ込んでいた。朝食代わりに食べさせたチョコレートを吐き出していた。

　長男はその日のうちに亡くなった。検察側は後頭部を床に打ち付け、さらに上がりかまちに頭頂部をぶつけたと指摘する。その２週間前に、別の男児（１歳８カ月）が頭を何度も床や壁に打ち付けられたようなけがをして死亡していたことは、後になって知った。

　母親の元には事件後、きちんと洗濯された長男のトレーナーとズボンが返されてきた。

　「やんちゃで手の掛かる子でした。でも、笑っているところしか思い出せないんです」

　夫婦２人だけになったアパート。玄関口には、小さな青い靴がそろえて置いてある。長男がいつでも履いて駆け出して行けるように・・・・。今もしまう気にはなれない。　　＝つづく