毎日新聞−2000年(平成12年)10月27日(金)
「選挙方法変えても何も解決しない」 無職 池田 専念 85(北九州市八幡西区)
国会の混乱は目に余る。政治とは何かを見つめる信念を捨てて専ら党利を追い求め、その手段として選挙の仕組みを変えて議席獲得を狙った、国民無視の権謀術策にほかならない。
教育問題、財政問題…。政治に迫られる難問は山積している。選挙の仕組みを変えたとしても解決する問題は何一つない。ただ、議席をどうして増やすかそれだけを問題にして国政を放棄している。
選挙に勝つためには、まず政策を明らかにして堂々と政策をもって戦うべきであり、政策のカードのなさを国民の前にさらした愚熊ではないか。政治に信念を失った醜態である。
信念とは、誠実、真実を追求することによって自ら開かれる人生の方向指針である。政治に最も大切なのはその信念ではないか。信念なき政治から教育の崩壊が生まれ、教育の崩壊から社会は荒廃した。政界の汚職、財界の不正、凶悪犯の激増、その荒廃は少年、少女に及ぶ。
「大人の責任問わず、なぜ少年ばかり」 主婦 斎藤 直美 42(神奈川県逗子市)
少年法改正問題で、判事罰を14歳まで引き下げる案が出ている。
私は、なぜ中学2、3年の子が刑事罰という法のレベルで裁かれて、周りの大人はおとがめなしなのだろうと思う。会社であれば、都下の不始末は上司が責任を負う。
児童福祉法第2条は、「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」、第3条には「前2条に規定するところは、児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたって、常に尊重されなければならない」とある。どう考えれば良いのだろう。
大人が自らの責任に触れずに、生まれてまだ14年しか生きていない少年の責任を追及しているところに、現代の日本の少年のおかれている状況や、そこから生まれる問題の根の探さを感じる。
私は、14歳に引き下げるべきではないと思う。
「成田選手の大記録には千金の重み」 無職 三好 渡 78(神戸市東灘区)
4年前のバラリンピック・アトランタ大会で5個のメダルを獲得した成田真由美選手(30)。日本にも大変な選手がいることに感心した。
その成田選手がシドニー大会に再び出場、競泳百五十b個人メドレーで世界新の記録を打ち立てた。2位に10秒以上の大差とは驚きである。
中学の時、せき髄炎で下半身がマヒし、学校にも行けず入院生活。ベッドの上で夜、ラジオを聴いて勉強し、県立高校へ進学。22歳まで入退院を繰り返すハンディを克服しての大記録は、余人の想像を絶する苦難があったと思う。
一時は水泳から遠のいていたのに、昨年からシドニー大会へ向けて再スタートしたという今回の栄冠には千金の重みがある。
9月のシドニー五輪では、日本女性の活躍が話題を呼び、パラリンピックでもすでに4個の「金」を手にした成田選手のようなヒロインが出たことに多くの人が勇気と元気を与えてもらっただろう。
「ポイ捨て 拾い処理する身になって」 主婦 高橋あえみ 44 (愛媛県西条市)
稲刈りが終わった。毎年のことだが、稲を刈る前に、腹立たしい作業がある。
それは沿道から田んぼに投げ込まれたごみを拾い集めることだ。空き缶、空き瓶、ペットボトル、スーパーの袋、弁当の容器、菓子箱、たばこの吸い殻……。
空き缶、空き瓶によるけが防止と同時に、これらを巻き込んでコンバインが故障するのを防ぐための欠かせない作業でもある。それらを家に持ち帰り、「燃えるごみ」と「燃えないごみ」に分別し、指定袋に入れ、それぞれの指定日に、ごみステーションヘ搬出した。ペットボトルと空き瓶は月1回の収集なので、来月の指定日まで待機中だ。
田んぼに限らず、玄関に、庭先にと毎日のように、ごみがポイ捨てされている。捨てる側にとっては、「ポイ」でも、拾う側にとっては、「ポイ」では済まないのだ。「ポイ」は要らない。
21世紀には、「美しい国・日本」となるように心掛けていきませんか。