毎日新聞−2000年(平成12年)10月16日(月)

社説 田中知事 長野、何となくクリスタル

 15日投票の長野県知事選で「文芸賞作家」として知名度はあったものの、行政経験はまったくなく、議員経験もない田中康夫氏が当選した。

 戦後の長野県知事経験者はこれまで3人しかおらず、ここ40年以上は2人の副知事経験者による県政が続いた。田中氏の最大のライバルだった池田典隆氏も同じ副知事経験者で、こうした長野県政特有の事情に有権者が変革を求めたことが、田中氏の一つの勝因に挙げられる。

 だがそれ以上に注目すべきは、これまで自民党が得意としてきた「利益誘導型」選挙が地方でも有効性を失ってきたことだろう。

 自民党長斯政権が続いた55年体制下でも、各地の知事選で有権者は多様な選択を試みた。1967年の美濃部売吉東京都知事を嚆矢(コウシ)として、大阪など大都市部を中心に「革新知事」が相次いで誕生した。

 だが、田中角栄内閣が「福祉元年」を掲げ、革新自治体の政策をナショナルミニマムとして国政に取り入れ、「革新知事」の存在意義が薄まった。その一方、オイルショックで革新自治体も財政難に陥り、独自で進めた福祉政策は財源面から限界を見せ始めた。

 政治的にも公明、民社両党など中道勢力が自民党との連携に走り、79年の統一地方選では、象徴だった東京、大阪から「革新知事」は姿を消した。代わって登場したのが「官僚知事」だ。同時に、「地方の時代」を提唱、地方文化の復権を目指す知事が、党派を超えて各地に誕生したのもこの時代の特徴で、その流れは今も受け継がれている。

 だが、手堅い行政が特徴の「官僚知事」もあきられた。中道、保守との連携を契機に多くの自治体では「与野党相乗り現象」が鮮明となり、「議会が機能しない」という批判が起きた。その反動から5年前の東京、大阪では相次いでタレント知事が誕生した。今回の長野での「田中知事」の誕生も、こうした一連の潮流によるものと解釈すべきだろう。

 池田氏は無所属ではあるが、選挙組織は自民党を中心とする保守層が支えた。県内最大の「企業」といっても過言ではない「県庁」を頂点とする選挙マシンに乗って徹底的な組織選挙を展開した。

 高度経済成長期は公共事業を中心に成長の果実を分け与えることで自民党長所政権は維持された。換言すれば、政策決定の過程はほとんど問われない「結果の政治」の時代であり、「利益誘導型」選挙がそれを支えた。だが、その後のバブル経済の崩壊と景気の低迷で、財政難は一層深刻さを増しており、「結果の政治」は大きく後退した

 経済のパイが大きくなることが期待できない現在、政治に問われているのは公平さである。それを保証するのが「プロセスの政治」だ。多くの国民(住民)の参加意識を高め、行政サイドもデータを開示し、政策決定過程をより透明にすることだ。今回、長野県民が政治とは縁の薄かった田中氏に託したメッセージも「プロセスの政治」の大切さではなかろうか。

 行政経験もなく議員も経験せず知事の座に就いたのは最近では高知県の橋本大二郎知事ぐらいだったが、流れは「プロセスの政治」に向かいつつある。長野知事選が今後の日本政治に一つの潮流を示したと言っていいだろう。

2000年10月のニュースのindexページに戻る