毎日新聞−2000年(平成12年)10月12日(木)
1998年の関東身体障害者陸上大会。一人の少年の疾走に関係者は目を見張った。生活用義肢の右足はしっかりとトラックをとらえ、障害を感じさせない走り。初出場というのに、いきなり当時の日本記録にほぼ匹敵する17秒03で百bを駆け抜けて優勝した。
千葉県立松戸矢切高3年の古城暁博(コジョウアキヒロ)君(17歳)。沖縄県宮古島で生まれた。5歳の時、交通事故で右足をひざ下から失った。「普通の子供として育てたい」。そう考えた母節子さん(45)は義肢を隠すことがないよう、患子に半ズボンをはかせ続けた。「自分が障害者だと思ったことがなかった」という息子は、近所の子供たちとサッカーボールを追いかけて遊んだ。
中学卒業後、一家で松戸市に移った。高校でもサッカーに夢中だった息子が、陸上を始めたのは長野冬季パラリンピックがきっかけだった。日本人選手の活躍を見た母は息子に言った。「あなたにもできるんじゃないの」
そんな母親の教育方針とサッカーで鍛えた肉体で、障害者スポーツ界にすい星のように現れた少年だった。「スポーツ義肢で走らせたい。2004年のアテネでは世界が狙える」。関係者は協力者探しに奔走した。
生活用義肢は激しい運動には適さない。スポーツ義肢は足との吸着力を高め、走力を高めるように加工した鉄板を使うなど工夫されている。しかし、部品はすべて外国製で、1本100万円近い。生活用義肢の購入に補助金を出す自治体は多いが、スポーツ義肢はその対象にならない。
財団法人「鉄道弘済会」が古城君に手を差し伸べた。昭和初期から鉄道事故にあった職員の義肢製作を手掛け、スポーツ義肢のノウハウも蓄積していた。古城君の練習には義肢装具士が駆けつけ、微妙な調整を繰り返してきた。
鉄道弘済会の協力もあって、今年6月の国内大会は百bで13秒84、二百bで29秒02の日本新記録で優勝した。アテネどころかシドニーの出場を決め、日本人初の義肢で走る最年少スプリンターが誕生した。
「サッカーの練習はしばらくお預け。シドニーでは、ぜひ自己ベストを出したい」。そう言って自分の可能性にかけて目を輝かせる古城君。そんな息子を、母親はオリンピック・スタジアムで応援する。
最新義肢の最終調整をする古城選手
=東京都江東区夢の島競技場で、高橋健伸写す
義足を付けて走るスプリンターを初めて見た時の驚きと感動が甦って来る。義足をつけて走る。切断部位は痛まないか? 義足はあのスピードとコーナーなどの圧力に耐えられるのか? 心配は尽きない。しかし、その1つ1つが“挑戦”なのだろう。本人は元より、周囲の人達も彼を通して“夢”を追っているのだろう。DREAM'S COME TRUE! |