読売新聞−2000年(平成12年)10月11日(水)
人は、生まれた時にすでに存在していたものには、何の疑念も抱かないものだ。その意味で、今の子どもたちにとってテレビゲーム機は、まるで空気のように自然な存在に感じられるだろう。友達と二人でテレビ画面にむかってゲームをし、他の友達は順番がくるまでマンガを見ている、という交遊のスタイルも、まったく違和感がないだろう。
彼らが大人になると、今度はインターネットの世界に没入していく。会社では、すぐ隣席の同僚ともメールで対話し、家に帰れば食事の時間を惜しんでディスプレーに向かう。1日の大半を「仮想世界」で過ごす人が急激に増え、同時に「人と向き合う」のが苦手な人も増えているのではなかろうか。
人間というものは、言語による論理的な情報のみで交流しているのではない。その数100倍の情報を顔や表情やしぐさによって伝え、心を交わせている。人という種が、「仮想社会」にのめり込んでいくと、長い年月の問には、次第にそういう表現力を失っていくというのが必ずしも冗談では無くなる。
犬のようなロボットAIBOを開発する時、このような仮想似社会に対するアンチテーゼみたいなものが、動機の一つになっている。つまり、子どもたちに、なるべく多くの時間を実世界で過こして欲しい、という願いだ。触れた感覚や温度、においやなめた時の味を含めて、五感を総動員して対象物を感じ、ぶん投げれば壊れてしまう、という実世界にどっぷりつかって欲しいのだ。
もちろん、ロボットより本物の犬の方が良いに決まっているが、ハイテクのゲーム機に慣れ親しんだ子どもたちの関心を引きつけるには、やはりハイテクが必要だろう。
もう一つのポイントは、ロボットを中心に人が群がれば、否応なしにお互いに向き合うことになる。つまり、ロボットを媒体として、人と人が、もっと基本的なコミュニケーションをするようになるはずだ。
これは、はからずも神奈川県小田原市で、不登校児の適応指導教室で実証された。不登校児は、友達付き合いが苦手な子が多い。教室に来ても、部屋のすみでテレビを見るか、ゲームをやるかで、ほとんどの子どもは口をきくこともなく、1日を過こしていた。
そこにAIBOがやって来た。すると、子どもたちは朝来ると、すぐにAIBOの周囲に集まるようになった。AIBOを中心に場ができ、やがて会話が始まり、ついには笑い声まで聞かれるようになった。
残念ながら、いまのAIBOの値段は、子どもたちにはいささか高すぎる。しかしながら、機能・性能を落とさずに普及価格帯のAIB0が売り出せたら、表情豊かで、人と向き合うのが苦手でない子どもたちの育成に員献できるのは確実だろう。