読売新聞−2000年(平成12年)10月11日(水)

共感してくれる友人いるだけで……

 子供が幼い時から仲良くしていた母親同士のグループがあった。その中で、社交的で美しい彼女と私は特に仲が良かった。内向的な私にとって彼女はまぶしい存在だった。でも、ささいなことで機嫌を損ね、彼女は私だけを無視するようになった。

 最初は気のせいかと思ったが、だんだんと顔を合わせるのが苦痛になった。しかし、そんな自分の気持ちを、「たいしたことない」と、鈍感で仲が良いふりを続けた。疎まれていると認めるのはつらかった。

 夫に相談すると、「くだらない」と言われた。自分でもそう思った。でも鉛のように沈んでいく心をどうすればいいのだろう。

 思い切って、軽い口調で、信頼できる友人に相談した。友人はすぐ、「あなたには非はない。そんなやつはぶっ飛ばす」と真剣に怒った。「やめてよ」と笑いながら、私は泣いていた。味方だと言って、共感してくれる人がいるだけで、こんなにも心の負担が軽くなるものだろうか。よかった。今夜は眠れそうだ。

 (東京都・匿名希望 40)

 “友達”の定義とは何か? 仲が良いだけではダメだと思う。私は計算なく、本音で喋れる人が“友達”だと思っている。相手のご機嫌を考えて言葉を選んだり、自分の都合に良いから付き合っている人にはいつかそっぽを向かれる日が来ると思っている。
 「味方だ!」と言ってくれる人が本当に味方なのか、私には判らない。しかし、私なら信じた人には本音で付き合いたいと思う。良いことは良い、間違っていることが間違っていると伝えたい。結婚式の時の誓いの言葉ではないが、「喜びは2倍にし、悲しみは半分に」し合うのが友達だと思っているから。
 そして、友達になって欲しい人には自分から心を広げなければならないと思っている。相手に求めるだけではなく、自分からささげていかなければ相手の心も開かないと思う。

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