読売−2000年(平成12年)10月09日(祝)
今年の夏、ドイツではナチスをめぐる話題が大きな関心を呼んだ。ナチの強制労働に対する補償財団が発足した一方で、ネオナチの暴力行為が相次いで起こり、ドイツ中を震撼させた。
旧西ドイツでは難民ホームに火炎瓶が投げ込まれて旧ユーゴの子供が死んだほか、デュッセルドルフの駅に爆弾が仕掛けられ7人のユダヤ人が死亡した。旧東ドイツでも、19年間ドイツに住んで3人の父親だったモザンビーク人が3人のネオナチ暴行を受けて亡くなる事件が起きた。
この時逮捕された24歳と16歳の青少年は「外国人に対する憎悪から」と自供し、地面に横たわった無抵抗の人間に暴力を加えた理由については「わからない」と答えて、社会にショックを与えた。若い人たちに暴力に対する抑制力がなくなり、相手を死にいたらしめても何らの心の痛みがないことが、人々を驚かせたのだ。
一連の事件から、ドイツでは政府も経済界もジャーナリズムも、真剣にネオナチの問題に取り組んでいる。このままでは国のイメージが傷つき、ひいては経済に影響が出るからだ。東西ドイツを問わず、なぜ若い人たちがネオナチに引かれるのだろうか。将来の見通しがなく、家族の人間関係も崩壊し、自分の居場所を失った若者にとって、ネオナチの愛国主義的で単純明快な価値観と強い指導者や仲間は魅力的に映るからだという。
こういう議論が続けられている最中にも、外国人に対する暴行や嫌がらせが続いていることから、市民の見て見ぬふりをする態度がネオナチを温存させていると、自己反省も行われている。
少数者の排斥や暴力に対する抑制力のなさは、日本の青少年の犯罪と共通するところがある。これは冷戦後続いてきた社会の価値観が失われてきたことと、その後新しい価値観が生まれてきていないことにも関係しているのだろう。重要なのは、市民が人間の尊厳を侮辱する暴力を許さない態度をはっきり示すことだと感じる。
浜村 和子(通訳・翻訳業)