読売新聞−2000年(平成12年)10月02日(火)
社会 |
シドニー・オリンピック マラソン21位 川島伸次
遅咲きのランナー、川島伸次(34)はマイペースで42.195`を走り切った。結果は21位だったが、「初心に帰って、もう一度きっちりやる」。ベテランはまだまだ挑戦を続ける。
走り始めたのは、埼玉・飯能高校に進学してからだった。日体大を経て、名門・旭化成へ。92年の九州一周駅伝で初日に区間9位と惨敗。「会社で仕事でもしていろ」と、レース途中で帰されてしまった。一位で当たり前のローカルレース。社宅のドアを開け、幼なじみの妻、ちはるさん(33)の顔を見るなり、涙があふれ出た。最後のつもりで参加した93年の福岡国際マラソンで日本人最高の5位に入賞し、選手生命がつながった。
昨年2月、交通事故にあい、秋には左足首の故障でまったく走れなくなった。「前途ある選手なら勧めないが、君ならあきらめがつくだろう」。医者がそういう手術を10月に受けた。そんな時、大学同級生の有森裕子選手からファックスが届いた。「ピックリしたよ。事故にあったんだって」。そんな調子で始まる激励の文章が、もうひと踏ん張りと背中を押してくれた。
ハイペースの展開に、10`過ぎで犬伏孝行(28)、佐藤信之(28)らがいた上位グループから置いていかれた。自分のペースを守り、35`過ぎに後輩たちを抜き去った。
「アフリカ勢に負けたからと言って、落ち込んではいられない」。ゴールした川島はサバサバした口調で言った。人生のアップダウンを走破してきたベテランは、ころんでもタダでは起きない。 (寺内 邦彦)
いっぽのコメント 人生はよくマラソンに例えられる。長〜い道のりの中で調子の良い時も悪い時もある。ペース配分も自分で考え、決め、実行しなければならない。途中で思わぬ(=予期せぬ)ハプニングに見舞われることもある。前回だったか前々回のオリンピックの時だったかマラソンで川島選手の先輩である谷口選手が給水所で後の選手に靴を踏まれて転んでしまったことがあった。谷口選手はメダルを期待されていたが、この時点で絶望的になった。しかし、後で本人が言うことには、転んだ瞬間にこのまま裸足で走るか、それとも脱げた靴を履きなおしてから走るか考えたそうだ。結局、「まだ距離があるので裸足での完走は無理だろう」との判断から脱げた靴を拾いに戻り、履き直して再スタートした。結果的には8位でゴールしたと記憶しているが、後でのコメントが振るっていた。「こけちゃいましたネ。こんなこともありますよ」。 勝負事は全てが「下駄を履くまで判らない」ものだ。そして、勝負するのは本人だ。その結果も本人だけのものだ。しかし、本人にはその勝負そのもののプレッシャーの他に余分なプレッシャーが何重にもかけられる。そして、その結果についても悪ければ責められる。ジャンプの原田選手の話しは有名だけど、本人や家族が辛い思いをした話しは数限りない。本当に応援しているのなら本人がどうしたら“ベスト”が出せるか考えて応援すれば良い。そして、その結果については良かったら一緒に喜び、残念な結果に終わったら励ましてあげるくらいの気持ちになれれば良いのだけど、勝手に応援していながら、結果が出なければひどい非難や嫌がらせをされるのは我が国だけではないようだ。サッカー王国の南米ではオウンゴール(自分のゴールに入れてしまうこと)をしてしまった選手が殺されたことがあった。馬鹿げたことだ。そんなことが人の命を奪う理由になるはずもないことは明白だ。 私達は勝負についても人生についても「他人に委ねる」ことが多い。親が子に、ファンが選手に。しかし、それはあくまでもその人の人生であり、その人の勝負である。応援することは許されるが、負担を掛けることは慎むべきだと思う。 長い人生の中で1勝99敗でも、その1勝で「最高の人生だった」と思って人生を閉じれる人もいる。又、逆に99勝1敗でも、その1敗のために「最悪の人生だった」と悔やみながら人生を終える人もいる。“途中”は途中だ。“ゴール”ではない。まだその“先”があるのだ。どんな先が待っているのかは判らない。しかし、自分の足で前に歩いていかない限り“今”から動くことは出来ない。その手本を川島選手は見せてくれた一人でした。多くの困難を乗り越え、大きなプレッシャーの中、今日まで頑張って来られた川島選手には感謝の気持ちでいっぱいです。 川島選手、ご苦労様。これからもご自分のため、ご家族のために頑張って下さい。 |